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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)740号 判決 1977年11月10日

原告

名取孝志

被告

株式会社中央メツセンジヤー社

主文

一  被告は、原告に対して金一一〇万円及びこれに対する昭和五一年二月一日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告のその余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一申立

(原告)

一  被告は原告に対して金一六〇万円及びこれに対する昭和五一年二月一日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

(被告)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決

第二主張

(原告)

「請求原因」

一  事故の発生

昭和五〇年三月当時、訴外斉藤幸次は、貨物自動車(横浜一一あ二一七九)を用い、横浜市緑区たちばな台二の二七所在の被告会社所有の倉庫に、酸化カルシユウム(生石灰)の荷を搬出入する仕事に従事していたところ、同月五日に同倉庫前の公道上に生石灰の一部を散乱させ、それを放置しておいた。

そのため同日午前一〇時半頃、母親久子に連れられて原告(当時三歳)は同公道上右側を歩行していたところ、右散乱生石灰上で滑つて転倒し、顔面、両手に熱傷を負つた。

二  被告の責任

被告会社は、運送業を業とし訴外斉藤幸次の使用者であり、同訴外人は被告会社の業務として右生石灰の搬出入に従事していたものである。

そして生石灰は水分と作用した時強熱を発つし、また滑りやすくなるのであるから、かかる危険物を自動車で運搬する際にはこれらが公道上に落ちこぼれて通行人等の生命身体に危害を及ぼすことのないよう十分に配慮すべき注意義務があるのに、訴外斉藤幸次においてこれを怠つたため本件事故が生じたものである。

よつて被告会社は、訴外斉藤幸次の使用者として民法七一五条にもとづき原告の損害を賠償すべき責任がある。

三  被害

(一) 右負傷のため原告は、事故当日から同年五月九日まで青葉台病院にて治療を受け(実治療日数二三日)、左薬物性角膜炎疑により、同年三月五、六日の二日間、青葉台眼科医院にて手当を受けた。その結果両手熱傷及び眼疾は治ゆした。

(二) しかしながら原告の左顔面に、左眉ぞいに横三センチ大の、左眼瞼週辺から下部にかけて十円銅貨大の色素沈着、ケロイド状の後遺症(昭和五一年一月九日症状固定)の後遺症が残ることになり、著るしい醜状を呈している。

右後遺症の部位は、人間の容貌の中心部分にあり、しかも右二つの瘢痕を一体とみれば、いわゆる鶏卵大の広がりを持つ醜状ともいえる。

しかも左眼瞼下部の瘢痕は原告の成長とともに拡大しており、風呂上り運動直後には一時的に充血して醜状の色素が増しその範囲が広がる。原告は男子であるため化粧で隠すこともできないし、形整手術も危険を伴い施すことができず、結局原告としては一生涯この醜状を顔面に残したまま人生を送ることを余儀なくされる。思春期をむかえた時の原告の精神的苦痛ははかりしれないものと思われ、親権者らも心を痛めている。

四  損害額

本件事故による損害のうち、原告側において負担した病院関係費、諸雑費については、被告において自賠責保険によりおおむね補償したほか、昭和五一年六月七日に右保険から慰藉料一一万〇、四〇〇円、後遺症補債三七万円(等級一四級)が支払われた。

しかし右の補償をもつては、原告の損害は補償されたことにはならず、なお左のごとき損害がある。

(一) 慰藉料 一〇万円

(二) 後遺症の補償及び慰藉料 一五〇万円

(本件後遺症の等級は一二級相当と考える)

五 結論

よつて原告は被告に対して右損害金合計一六〇万円及びこれに対する昭和五一年二月一日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

「抗弁に対する答弁」

事故当時生石灰は完全に溶解して水液状態となつており原告の母久子においてもこれを打水と誤認した。原告もこれを水たまりと誤認し、好奇心から足を踏み入れたとたん沈澱してぬるぬるの生石灰に足をとられて滑り、両手をついた、そして立上つた時その手で顔面をこすつたため前記のごとき傷害を負つたのである。原告の母は、原告が「痛いよ」と叫んだのを聞いて初めて本件事故の発生を知つたものである。

右のとおり事故当時白色粉末が路上にあつたわけでないから被告の過失相殺の抗弁は失当である。

(被告)

「請求原因に対する答弁」

請求原因一項は認める。同二項中被告において原告の損害を賠償すべき責任があることは争うが、主張事実は認める。同三項は不知、同四項中原告が損害の填補を受けたことは認めるが、その余は争う。

「過失相殺の抗弁」

生石灰が落ちていれば容易に判明するはずであり、且つこれが水分と作用して発熱した場合にはガス、煙が発生しているから、これを避けて通行することは可能であつた。仮りに原告自身において本件事故発生を未然に防止すべき能力がないとしても、同伴していた母親において右注意をなすべきであつた。よつてこれら事情を斟酌して過失相殺をして原告の損害を減額すべきである。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因一項、同二項中原告主張事実については当事者間に争いがない。そしてこれら事実よりすれば、被告会社は不法行為者たる訴外斉藤幸次の使用者として民法七一五条一項にもとづき原告の本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

なお被告は、本件事故発生につき原告もしくは原告の母久子に過失があつた旨主張する。しかし原告法定代理人名取久子本人尋問の結果により原本の存在、成立の認められる甲第一号証及び同本人尋問の結果によると、本件事故は被告会社の倉庫の前で生じたのであるが、原告の母久子らは事故前の一、二年前にこの倉庫ができた時から知つているが、危険物が入れてあるとは聞かされておらず、そのような物が搬出入されていることは予想していなかつたこと、事故当事の散乱した生石灰の模様、及び原告が負傷に至つた経過は、原告が「抗弁に対する答弁」一項で主張するとおりであることがそれぞれ認められる。

右事実からすると原告及びその母久子が路上に打水様の危険物があることを予想できなかつたのは当然であり、従つて原告らに過失相殺の対象となるべきような過失があつたとは認め難い。よつて被告の右主張は認められないところである。

二  原本の存在、成立につき争いのない甲第二号証の一、二、同第四号証の一、二、原告法定代理人名取久子本人尋問の結果によれば、本件事故後泣き出した原告を見て、原告の母久子は異変に気付き直ちに家に帰つて原告の手や顔を洗おうとしたのであるが、痛がつて充分洗うことができなかつたこと、そのため原告(当時三歳)はその主張のごとき熱傷を負い(この点は当事者間に争いがない)、「請求原因」三項(一)で主張のとおり治療を受けたのであるが、左目付近については事故直後特に洗うことができなかつたため瘢痕の後遺症が残ることになつたこと、この後遺症は、青葉台病院で症状が固定したとみなされた昭和五一年一月八日現在で、左眉ぞいに横三センチ、及び左眼瞼の下部に横一・七センチ、縦一・四センチの色素沈着であつたこと、の各事実が認められる。

さらに成立につき争いのない甲第三号証の一ないし三(昭和五一年三月一一日当時の原告の顔面の写真)、同第五号証の一、二(昭和五二年六月一六日当時の原告の顔面の写真)、同第六号証、同第八号証、及び原告法定代理人名取久子本人尋問の結果によれば、原告の右後遺症のうち左目下の瘢痕は薄いかつ色で少し凹凸のあるケロイド状となつていて目につきやすいのであるが、目の近くなので危険で手術で治すのはむつかしい旨大学病院で診断を受けていること、そしてこの瘢痕は成長につれて左下方の方に少し伸びてきており、風呂に入つたり運動したりすると色が濃くなり、また原告は時々かゆがつてこれをかくこと、なおこの顔面の瘢痕は原告代理人において異議申立をしたのであるが、自賠責保険では一〇円銅貨大の瘢痕として第一四級の等級認定を受けたこと、の各事実が認められる。

三  右認定の原告の通院期間及び後遺症の程度からすると、通院による慰藉料については、原告において自認する自賠責保険から支払のあつた一一万〇、四〇〇円をもつて填補済と認められる。また右後遺症の態度に鑑みこの後遺症によつて原告が将来その労働能力を喪失することは認め難い。

しかし右後遺症の部位、態様からすると、その慰藉料としては、自賠責保険から支払のあつた三七万円に加えて一一〇万円を認めるのを相当とする。

四  よつて原告の本訴請求は、被告に対して一一〇万円及びこれに対する本件事故後である昭和五一年二月一日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるので、この限度で認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡部崇明)

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